ラダック・ザンスカール 旅の記録 19

 
 2019年8月12日
 早朝、カルギルを出発し、ラダック・レーに向かう。途中、アルチゴンパに立ち寄る。寺院を見るのはこれで最後になる。
 北杜で出会った、ラダック行きの背中を押してくれた一人であるママ友パパ友兼友人から、アルチゴンパはと、おすすめされていた。確かに建物の彫刻が素晴らしい。
 このゴンパはザンスカールと違って、観光化が進んでいた。観光化、よくも悪くも観光化。どうも私はメジャーなところとなると興味がなくなる。どんどん興味が薄れるのを感じながらも、そうではいけないと、本質的なところ見ようと努力する。つまり、曖昧なところを。どこからインドの影響を受け、どこからペルシャの影響を受け、チベット仏教なのか密教なのか、それぞれの面影を想像しながら、それぞれが混在する中で何が中庸化されたのか感じとろうと試みる。興味のあるところはそこだったのだと、これを書いていて思う。






 ラダック、チベット、ネパールのものもあったかな、お土産屋さんを物色する。
 見慣れている光景。ツーソンミネラルショーでも仏教、密教の道具を販売するお店がいくつも並ぶ。動物臭とそれがわからなくなるくらいのお香の香り。埃もそのまま伝統の一部とされるのか、古いものほどいろんなものを吸い込んでいる感じがする。新品で傷はもちろん埃も一切ついていない「新しいもの」と、この「古いもの」の価値は計れるものではない気がする。Macの新製品はそれは素晴らしい。紙から製本まで全て、人の手で作られたノートが劣るのかと言われると答えられない。白黒つけられない。でも、グレーでもない。
 







 運転手と一緒にランチを食べた。私がご馳走するというと、なんとも言えない表情をしていた。ライスだけでいい、と言う。食べたくないのだろうか、遠慮をしているのだろうか、よくわからなかった。勝手な解釈が頭の中で飛び交う。カレーも一緒に勧めると無表情で承諾してくれた。女性におごられるのはタブーなのだろうか。それとも年下だからだろうか。無言でランチが終わる。彼の思考と感情がよくわからなかったから、居心地がよくなかったのではなく、彼が居心地がよくなさそうに見えたから、私も居心地がよくなかったのだと思う。カレーの味も覚えていない。覚えているのは彼がこの旅で度々見せた、この空気。
 似たような空気を放つ男性に、この旅の1年後に出会った。彼は自分が何かを支払う時には大きく、寛大に、そして柔らかくなり、そうでない時、つまり自分ではなく相手に支払ってもらう時には硬く固まった表情をした。でも、お金の価値をよくわかっている人だった。お金の価値はわかっていても、人の価値は考えて測るところがあった。なぜなのだろうと観察を続けると、人と深い繋がりを持つことを恐れているのだとわかった。いや、わかったつもりになっていただけかもしれない。お金で精算できる人間関係は楽だろう。お金では計れない人間関係は全てが代償になる。彼が怖かったのは心だろうか。お金で失敗して自分からお金がなくなっても、心はなくならないのになと思う。自分の心は自分から逃げていくことはない。自分の心に背を向けて、逃げることはあっても、ずっといる。
 男性はかわいそうだと思うことがある。どうしてそんなに格好つけなければならないのだろうと。格好よくあろうとするのは、プライドは、男性の性質だろうか。それとも、男性全体で作り出したものだろうか。それとも、それを強いているのは女性なのだろうか。
 女が結婚、出産もせず、経済力を伸ばすと、男性が煙たがる。それは女性差別。でも女の種類も色々ある。結婚して出産して子育てしたい女だっている。そういう人は経済力のある男性を選びたいと思うだろうか。そうとも限らないのが現在だ。女は妊娠すれば避けて通れない時間が存在する。考えないようにしよう、とはいかない。自分の中に別の存在が育っているのだ、とんでもないことである。男はそれを想像するが、女だって体感してみないとわからないことだらけだ。女は体感から逃げられず、男は見ないようにできる。女じゃないから。女ではない故に理解できないと言えてしまう。女は理解できなくても逃げられない。もっと複雑なのは産んでからだ。女に対していくらか理解ある世の中、というか、差別になるから大きな声では言えない世の中にはなったけれど、子育てをする母親に対して世間はまだ冷たい。泣かせると煙たがられる。年上には色々言われる。授乳室は区切られて、公共の場でおっぱいは自由にあげられない。全面に出しているわけではないのに、おっぱい出して、はしたないと怒られる。子どもに食事を与えているだけなのだけど、と母親は思う。いやらしい目で見ているのは男の方じゃないかと思うのだ。
 男には女に抱く理想があって、女が女自身に思うそれとはズレがある。男と女は機能的にも思考的にも感情的にも全く別物だと考えなければならないのだろうかと、この旅の終わりから、–−−運転手と会ってからかもしれない、考えていた。多分私は、運転手の思う女性という概念をなんとなく読み取って、その枠に入ろうか抵抗しようか、ずっと考えていた気がする。そういうことってないだろうか。あ、この人は女をこう思ってるな、と分かることってないだろうか。私はそれを感じると若い頃だったら即効に抵抗していた。戦っていたかもしれない。今も大して変わりはないが、男性によく話を聞いて自分の感覚にズレがないかを確かめるようにしている。あなたは女をどう思っているの?その質問は、男性はどういう性質なのかを理解するヒントになる気がした。理解なんて、到底できるものではないのかもしれない。でも、理解する努力も理解してもらう努力も無駄ではない気もする。理解できないということを理解した上で、できることはある。理解できないままでも、できることはあるのだと思いたい。女も男も言えたことが全てではない。言えなかったことの中にその人の正体がある場合もあるのだろう。ズレているならズレたまま、違和感を感じて、そこから糸口を見つけるのも手なのかもしれない。白黒はっきりとはいかないのだ。白と黒の交互の動きの中に私たちは立っているのだと、理解しなければならないのかもしれない。



 夕方、日が暮れる前にレーに着いた。7日ぶりのレーのホテル。少し頭がクラクラする。運転手と挨拶を交わし、別れる。夕食の時間まで一眠りし、ホテル敷地内のレストランに入る。先の宿泊で会話を交わしたレストラン支配人が忙しそうにしている。髪を切ったのね、と声をかけると、似合っているかと聞かれる。とても素敵だと答える。なんだか前よりもよく言葉が出てくると思う。秘境まで旅をしたからかと思う。食事をした後、レストランの席で、旅のメモを取る。ペンと紙を出す。スマートフォンを取り出して、何日に何があったかを写真で追っていると、少し離れた席に座る男性に怒られる。Wifiはロビーで繋がる。携帯はロビーでやれ。この地域では携帯を使うということは何か惰性的な行動なのだろうか、と思う。WIFIは必要ないからロビーには行かない、と私は答える。男性は、あーわかっていないなという反応で現地の言葉で連れの人に何か話している。食事は終わっている、食べながら携帯を見ている訳ではない、しかし、マナーが違うのだろうと受け止める。携帯はしまい、ゆっくりチャイを飲みながら紙とペンに向き合った。
 急に泣きたくなった。心細くなったのかもしれない。旅のことを書きたかっただけなのに、と思った。Wifiが遮断されるほど、携帯は害とみなされる地域なのだと今は思うけれど、怒られ方がとても上からだった。どうやらホテルの支配人だったらしい。現地の人からしたら若く見えるかもしれないが、私はこの時36歳、負けじと言い返したけれど、キツかった。
 レストランの支配人が、サービスだと言って、デザートを席に運んでくれた。見ていたのだろうか、と思った。甘すぎるタピオカのデザートを匙ですくって口に入れた。甘すぎて食べられないと思った。


 



 




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