ラダック・ザンスカール 旅の記録 14


 2019年8月9日
 プクタルゴンパの帰り道は、行きとは違うルートを行くとガイドのギャツォから聞いた。
 行きよりも距離が短い。ゴンパの前の川を渡り、その川沿いの道を南下すると村があるそうで、そこで運転手が車をつけてくれることになっていた。
 ギャツォと出発する。荷物を持ってくれようとするが、断る。カメラは首から下げているけれど、わがままを言って出発時間を遅らせたことが気になり歩くことに集中する。晴れていて、日差しが強く、アップダウンが度々あるルートでとても撮影する余裕がない。しかし、ギャツォとの歩みはやはり気持ちがいい。


 1時間ほど歩いただろうか、道の先に人が立っているのを発見する。運転手だった。
 私は、もう車の合流地点に着いたのかと思った。しかし、車を停めた場所はまだ先で、その後1時間くらいを一緒に歩くことになった。何のために彼はわざわざ来たのだろうと、歩きながら考えていた。彼は合流してすぐ、私の荷物を持つと言い出した。私が断ると、一瞬の間があった。もしかしたら彼は、私の荷物を持つために来たのかもしれない。面倒見がいい運転手だ。ありがたいが、自分の荷物は自分で持ちたい。

 途中、現地の村のお爺と遭遇する。ザンスカール出身のガイドと運転手はしばらく彼と雑談。




 車の停めてある場所に到着し、そこから運転手は車を走らせる。砂利道を進み次に停まったところは、運転手の住む村。ランチをご馳走すると言ってくれる。
 家は土壁のようだけれど、柱は木造なのだろうかとキョロキョロする。通されたリビングには窓が一つあり、反対側の壁は天井まで前面に棚が作られている。その棚には食器もテレビも小物、日用品全てが一緒に収まっている。壁に沿ってコの字型に絨毯がしかれ、その前に小さなテーブルがある。
 食事はグリーンピースのカレーだった。幼い頃を思い出す。母がカレーにグリーンピースを入れていて、それが嫌いだった私は絶対に食べなかった。壁全面に棚を作り、上から下まで本も食器も納められ、小さく仕切られている収納も、母の部屋と似ていると思う。カレーはとてもおいしい。やはりコーンの味と似ている。コーンが入ったカレーは好きだったなとまた思い出す。
 


 運転手の自宅を後にして、車を停めている場所まで歩いていると、民家の前で二人の子供と出会う。子供たちは家の中に入りたいのだけれど、鍵がかかっていて入れないでいる。ドアの前で親が帰るのを待っているのだ。年齢は保育園児と同じくらいと見える。このくらいの歳の子が子供たちだけで遊びに出るということは、日本ではあまり見られなくなっている。ここはそれだけ危険が少ないのだろうか、と思う。



 ゲストハウスに戻って来たのは夕方で、部屋から日が落ちていくのを眺めた。
 夕食の時間になり、オーナーが食事を2階の部屋の前のフロアに運んでくれる。部屋の三面に窓があり、外は暗くなっている。ソーラー電気で明かりがつけられる。食事はトマトパスタと卵スープだった。鍋ごと運ばれ、一人分の量としては多すぎた。客は私だけで、私が自分の分をとった後は従業員たちで分けて食べるらしく、鍋は別のスタッフが取りにきた。
 オーナーが食事の間、隣に座り、話相手となってくれた。私はできれば一人で食べたかった。緊張しているオーナーと少しずつ会話を交わし、年齢が一緒だということがわかったころ、いくらか打ち解けた感覚を得た。彼は小学校の国語の教師もしているらしく、ダブルワークなのだそうだ。見た目の年齢は10歳くらい上に見える。内面も同じく、上に思えた。家庭を持ち、子供もいる。日本語を知りたがったので、少し教える。何を教えたのか思い出せない。

 ゲストハウスに戻ってきたタイミングで生理がきた。3日ぶりにシャワーを浴びる。生理のせいなのか目眩がする。高山病の薬を飲むのをやめる。滞在中はずっと飲み続けてくださいと医師に言われていたが、自分の直感に従う。出血はさほど多くない。出血が止まらなかった数年前のアメリカ仕入れを思い出す。もう、大丈夫なのだと、プクタルにも行って、帰ってこれたのだと思いながら、整えられたベッドで眠った。







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