ラダック・ザンスカール 旅の記録 18

 2019年8月11日
 ザンスカールのパドゥムからラダックのレーに戻る2日間が始まる。2日かけての車移動。この日はパドゥムを北上してカルギルを目指す。2度目のこの道、落ち着いていて騒ぐことなく、マーモットが寝転んでいてもはしゃぐこともなく、黙ってひたすらに写真を撮る。
 運転手のトラブルは続いていて、彼に笑顔はほとんどない。早くこの仕事を終わらせて、自分のために時間を使いたいだろう、と考える。が、どうしようもないこともわかる。かけられる言葉が見つからず、写真を撮るのも少し遠慮がちになってしまう。

 馬を見る場面がたくさんあった。野生の馬である。それからずっと馬のことを考えていた。










 氷河よりも馬の写真をよく撮った。
 もし、またここに来る機会があったら、馬に乗ってトレッキングをしてみたいと思った。
 特にこのエリアが好きだと思った。テントで野宿もしてみたい。








 帰りもトイレは岩の影。運転手と私は車から降りるとお互いに反対の方向に行き、用を足す。野犬はいない。川の向こうにはぽつんぽつんと民家らしき建物が見える。

 カルギルに近づいてくると、ムスリムの村が続いた。運転手は仏教徒であるため、このエリアに差しかかると少し緊張が走る。車を洗いたいと、ムスリムの村の外れの水路のあるところに車を停める。私は車で通り過ぎたムスリムの村が気になってカメラを持って歩く。車から離れすぎて、運転手に怒られる。そっちへは行くな、戻ってこい、というようなジェスチャー。  
 旅行会社からは好きなところでいつでも車を留めていいと言われたはずだったが、なかなかそうは行かなかった。ムスリムの村は早く通り過ぎたいという感じが伝わってきていたし、後から知ったけれど、私が最初にラダックのレーを離れた辺りから、インドとパキスタン間で緊迫した空気が流れていたらしい。暴動やデモを避けるために、インド政府、パキスタン政府はWIFIを遮断していて、外への連絡は断たれた状態だったことを、この日の夕方にカルギルにたどり着いて、ホテルで知った。数日前にはこのカルギルでも少し暴動が起きたとニュースで流れていたのだそうだ。友人が心配してメッセージを残してくれていた。ここに来る時に車が大渋滞になっていたのはそのせいだったのかと思った。何も知らないで、ザンスカールの奥地まで行って、帰ってきた時には治っている。タイミングとはすごいなと思った。

 カシミール、ザンスカールを抜けてその先はどうなっているのだろう。文化はどのように、自然はどのように混ざり合っているのだろう。人の手が加わらないところ、人の手によって混ざり合ったところ、微妙で曖昧なところに興味がある。その混ざり合ったところに。
 
 帰国して半年くらいが経った頃、山梨の友人からSNSを通してウイグルのことを知った。講演会が開かれ参加したあと、トルグン・アルマス著「ウイグル人」という本を取り寄せた。紀元前数世紀から始まるウイグル人の歴史書だ。アジアのヒマラヤを中心とした山岳エリア、その北と西、東。なぜ気になるのかはよくわからないけれど、知りたいのだということはよく分かる。
 翌年2020年にはコロナが発生し、旅はできなくなった。
 急かされるようにこの旅が決まったことに、後になって納得してしまう自分がいた。あと一年出発を遅らせていたら、行けていなかった。今は2022年でコロナ発生から2年も経っているけれど、気軽に旅ができる世の中ではない。2019年にはなかったものが、今はあって、その差はとても大きい。




 人間の歴史は勝者が作ったもので、奪い合いの結果が私たちだろうか、と考える。確かに知識としての歴史は文献や後に伝える者がいなければなくなってしまうけれど、消してしまうことなどできないくらい深く染まったものが、人にも文化にも残っていると思う。人間の歴史は混ざりあいだ。人間同士が文化を運びあった。知恵も運びあった。あーだこーだ言いながらも一緒になって混ぜこぜしてきた。混ざるということは、なくなるということではない気がする。そう思えるだけで、白にも全ての色が含まれていて、黒も同様、全ての色が含まれている。白黒つける必要はない。白黒つかないことの方が多い。話し合って、仲ようやればいいだけのことなのに、どうしてかな、どうしてなのかな、と思います。





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