ラダック・ザンスカール 旅の記録 15


 2019年8月10日
 北インド・ザンスカール・パドゥム。ゲストハウスから見える朝の風景。
 晴れている。行く場所はずっと晴れている。
 朝食前、どこかで見た旅行雑誌の写真の中のようだと思い、部屋を撮る。遠かった世界が近くにあるが、現実味を帯びただけでまだ遠いまま。







 外に出てしばらく写真を撮る。山にかかる雲が朝靄なのか、通常の雲なのかわからない。 標高が高いのだということを思い出し、この場所を選んで産まれてくる人のことを考える。なぜ私はここではなくて、日本を選んだのだろうとも。ここに産まれてくる人は別の場所ではなくて、なぜここなのだろう。何か法則性や縛りのようなものがあるのだろうか。そんなようなことを、写真を撮りながら考えていた。





 朝食を食べてから、出発。私、ガイドのギャツォと運転手の3人でこの日はザンスカールの寺院を廻る。まずはザンラという地域を目指す。

 トイレ休憩で寄った民家の前の風景。
 トイレは外にあり、野犬がいないかどうかギャツォが先に行って見てくれる。野犬?と驚く。大丈夫だとギャツォが帰ってきたので、トイレを目指す。塀で囲っただけのぼっとん便所。落ちないように気をつける。やっぱり、ブッシュの中でするのが一番心地がいいなと思う。


 山と呼ぶべきなのか、巨大な岩と呼ぶべきなのか、近くに行って地層を見て見たくなる風景が続く。写真だと小さく見えるけれど、山の麓の民家と比較するととても大きいことがわかる。岩肌はどのくらい前の地層なのだろう、と思う。









 ザンスカール川を北上、パドゥムから35キロ離れたところにある村、ザンラ。かつてザンスカールをパドゥムと共に治めていた王朝、ザンラ王朝がある。山の上に残るかつてのお城を眺め、まずは尼僧院ザンラ・チョモ・ゴンパを目指す。

 ガイドのギャツォと一緒に女性の寺院を訪ねる。彼のことをほとんどの僧が顔見知っている。私は本当に運がいい。そういう言葉を使うのは好きではないけれど、彼と出会えたことは幸運だったと思う。
 尼寺はどこか男性だけのお寺と雰囲気が違っていたように思う。女性が木陰で集まって話をしている姿は象徴的だった。女性的だなと思ってカメラを構えた。


 小さな建物の中にギャツォが入り、私も靴を脱いで中に入る。祈祷場所のような部屋だった。そこには数名の僧侶がチャンティングをしていた。私たちが会釈すると、笑顔を返してくれる。目が不自由な女性がいた。きっと体が不自由な人も中にはいるのかもしれない、と思った。なぜ、そう思ったのだろうかと、はっとして、考える。何も知らない。女性たちがどうしてここに来ることにしたのか尋ねる機会があればいいのに、と思った。


 別の部屋に案内され、壁画を見せてもらう。とても古い壁画なのだとギャツォは言う。
 描かれている仏の絵がどこか女性的に思えた。撮影が許可されているらしく、いくつか写真を撮らせてもらった。ここが尼僧院だったからだろうか、いくつも見た壁画の中でこの場所の壁画が一番印象に残っている。長い間、女性がその場を整えているという印象も影響していたかもしれない。落ち着く。それは彼女たちと私が同性だからなのだろうか、男性だったらどういう印象を持つのだろうと、と思った。









 昔使われていた洞窟のような通路を通る。
 この旅が始まる前に、トンネルを通ったことを思い出す。使われなくなった鉄道線路のトンネル。山梨の友人が案内してくれた。どこか自然を感じられる場所に連れて行って欲しいと頼んだのに、案内されたのはトンネルだった。真っ暗で、足がすくんだ。怖いな、と笑って投げたつもりが、声は震えていて、「でも行かなきゃ」と言った友人の声は、誰か別の人に言われているような感じがした。トンネルの丁度真ん中で少しの間、思いを巡らせた。大切な友人を亡くしたばかりの時で、葬儀に出向けない代わりに、どこか自然の中で亡くなった友人にお別れをしたいと思った。トンネルの出口から入る光は遠く、真っ暗だった。
 尼僧院のこの通路はどのように使われていたのだろうか、よく聞かなかった。ここで祈祷をする人はいただろうか。ザンスカールの幾つもの寺院に洞窟があり、そこで祈祷をされてきた僧侶がいたことを知った。トンネルのような構造はそのような行いに適しているのだろうか。亡くなった友人が迷わず次の場所に辿りつきますようにとお願いをした。その場所が八ヶ岳の山肌の中を行くように作られたトンネル。洞窟の代わりだったのか、とまた都合よく解釈する自分に、少し笑った。
 トンネルを出た時、外の明かりが眩しくて、泣いた。この寺院の暗い通路を出た時にその時の自分を思い出していた。あれは通過儀式だったのかもしれない、とぼんやり思う。怖いな、と呟いたけれど、トンネルが怖かったのではなかった気がする。この世界を離れた存在に対して想いを寄せることが怖かったのかもしれない。

 大好きな詩がある。寺院にいながらこの詩を思い出すのは少々ミスマッチかもしれないと思いながら、その詩のことを思い出していた。

飯島耕一「ゴヤのファーストネームは」より 

何にもつよい興味をもたないことは

不幸なことだ

ただ自らの内部を

眼を閉じて のぞきこんでいる。


何にも興味をもたなかったきみが

ある日

ゴヤのファーストネームが知りたくて

隣の部屋まで駆けていた

   

生きるとは

ゴヤのファーストネームを知りたいと思うことだ。

ゴヤのロス・カプリチョスや

「聾の家」を

見たいと思うことだ。

見ることを拒否する病いから

一歩一歩癒えていく

この感覚だ


きみは自らの内部からくる生存の信号を知覚する

ゴヤの信号は耳鳴りだった

ゴヤは耳の底の測候所からの

発信を受けながら銅板を刻んでいた

ゴヤは見ることを止めなかった

きみは見ることを拒否する病いのうちにあったから

見るとは何なのかが 

いま

手にとるようにわかる

 

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