ラダック・ザンスカール 旅の記録 17


 ザンラ、ストンデを後にして、昼食はギャツォのご実家に招かれる。これもスケジュールに組み込んでいただいたもの。ザンスカールの家庭の風景を見たい、トラディショナルなものも見たいという要望に、ラダックの旅行会社の方がガイドのギャツォのご実家をと薦めてくれた。
 詳細には書くのをやめたけれど、実は運転手がプクタルの帰り道に自分の自宅に招いてくれている。これはスケジュールには組まれていなかった。運転手の奥さんがお昼をご馳走してくれたけれど、ウェルカムな感じではなく、運転手は昼寝をして、私とギャツォはしばらく”待ち”の状態だった。その後にとった写真が象徴的で、鍵がかかって家の中に入れない小さな子供二人、あれは、私とギャツォの状態を表していたように感じた。
 この日の午後から、段々と運転手のことが気になってしかたなかったのを覚えている。彼は自分を優先する人だなと感じていた。それを馴れ合いを通して押してくる人だとも思った。親しき仲にも礼儀あり、だけれど一瞬忘れる。大して親しくはないのだと気づく。詰め方がうまい。コミュニケーションが上手な人なのだと思った。ただ、年下だからといって、女だからといって、うまく上手にコントロールできると思っていたら痛い目を見るよ、と私は内心思っていた気がする。彼はこの後トラブル続きだった。そのストレスは車の中にも持ち込まれた。気にしないようにしていたけれど、自分だけ旅を楽しむのはどこかはばかられて、彼に起こったトラブルの経過を尋ねてしまう。まあ、これも私に起こっていること。見せてもらっていることだと、心にとめて、彼のトラブルが無事に収まることを願った。



 ギャツォのご実家では手作りのモモ(餃子)でもてなしてくれた。
 それから、グルグル茶(バター茶)ビスケットに山羊の搾りたてのミルク。
 アルミのお皿がどこか懐かしい。
 餃子も、我が家では伝統料理だった。満洲仕込みの祖母のレシピで、皮から作る水餃子。母が受け継ぎ、私も自宅で時々作る。父よりも母の方が好きだったように感じる。母はビスケットも好きだった。ナッツやドライフルーツも。なんだかおかしいなと思う。








 ギャツォのお母さんとお父さん。ギャツォは私と同じ84年生まれだけれど、末っ子なのだと言う。お母さんは伝統衣装を着ていらしてくれた。写真を撮らせてもらう。装飾品はターコイズ 、おそらくとても古いものだと思う。せっかくの写真だったのにピンボケ。
 優しそうなお母さんだった。玄関まで見送ってくれた。
 この後、ギャツォの二人のお兄さんにもお会いできる機会に恵まれた。



 カルシャ・ゴンパ。車で移動し、大きな寺院に到着。車から降りてすぐ、ギャツォの知り合いに会う。建築関係の方。プクタル同様、階段を上がっていくといくつもの建物がある作りで、手前の建物は新しく建設中なのだと話してくれた。










 寺院から見える風景。ヒマラヤの雪山が素晴らしかった。
 子供の僧たちの学校もある。目が少し不自由な子どもが、私にバンバンとピストルを構える遊びをしきりに行っていた。ITやメディアは急速に発展していて、スマホでTVや映画を見る僧もいるのだと、このこともネットで知った。バンバンと撃たれる遊びはどこか違和感があって、男の子らしいと言えばそうなのかもしれないけれど、ここに来るまでに度々見た警察官、彼らが持っている長い銃のことを考えた。日本では見ることはない絵があって、ここは、そうか、いろんなことがある。でも、日本だって同じで、恐ろしいものは平和なもののすぐ裏にあったりする。それが現代、なのかな、いや、現実世界というのはずっとずっとそうなのかもしれない、と思ったりする。


 寺院を見た後、建設中の寺院にギャツォが案内してくれる。そこで、ギャツォのお兄さん二人を紹介してもらう。一人はお坊さん。このゴンパの僧侶だった。もう一人のお兄さんは、この寺院を建設している方。
 素敵だと思う。兄弟で一緒にお仕事ができる。素晴らしいご兄弟を持っているのだなと、ギャツォを見て、それから先ほど会ったお母さんのことを思い出した。お兄さんと話をしているギャツォは少し嬉しそうで、お兄さんもやっぱり穏やかな方だった。お二人ともシャイな感じだったので、一枚だけそっと写真を撮らせてもらった。




 ゲストハウスに帰宅して、ギャツォにお礼をする。ザンスカール滞在中の支払いは最後にお渡しするように旅行会社の方に言われていた。滞在中のガイドの料金、プラス、チップ。それから連絡先を聞いた。facebookも繋がり、いつでも連絡ができるようになった。
 彼との交流は今も続いていて、時々写真とともにメッセージが届く。
 本当に彼にはお世話になった。彼のお陰でザンスカールでの滞在が豊かだった。

 次の日はレーに向かって2日間のドライブになる。よく眠っておきたいと思っていたけれど、ゲストハウスのオーナーと話が盛り上がる。この旅で4度目くらいの、なぜ一人旅をしているのか、という質問。あとは、結婚しているのか、これも何度も聞かれた質問。お酒はないが、恋愛絡みの話をちょろっと出すとオーナーはノリノリだった。英語がよく分からなくて、特にスラングのような濁した言葉が意味が分からないまま受け答えしてしまい、彼は私を少し勘違いしていた気がする。まあいいかと訂正することなく適当に合わせて、その後すぐベッドに横になったけれど、目の前の河原でキャンプをしている人がいるらしく、夜通し大音量でインド音楽が流れていた。非常にノリのいい爆音のやつ。音があると眠れない私は、結局朝まで一睡もできなかった。泣いた。
 朝になってオーナーにそのことを話すと、前日に私と話が盛り上がった時と同じテンションで、「君も混ざってくればよかったね」と言われる。目がエロい。やっぱり何か勘違いをされている。まあいい。ザンスカールの同い年の男性にもいろんな人がいて、日本人と変わりないのだとわかった。少々年上の方と話している感じはしたけれど。昭和という年号はここにはないけれど、昭和な匂いがした。



 

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