ラダック・ザンスカール 旅の記録 13

 

 2019年8月9日
 夜明け前に目が覚める。プクタルゴンパ、最終日。
 ゲストハウスの外に出て写真を撮る。そのまま歩き出し、昨日木を見に行った時のルートを逆から登る。崖を少し登ったところで、座るのに適した岩があった。カメラを横に置いて、静かに座る。



 ここに座る前は、少し焦っていたかもしれない。私は何をしにここに来たのだろうと、何か確かなものを探していた。納得したかったのかもしれない。ああ、この為にここに来たのだと。あるいは驚くような何かが待っているかもしれないと。最終日の朝になっても、驚くような何かはなかったし、ただ穏やかな時間があるだけだった。このまま何も見つけられず、帰っていいのだろうかと思っていた。
 何も見つけられていないと思っていたけれど、あの時間に静かに座った後は、何も見つけられていないとは思わなかった。

 ここには初めて来た。とても来たかった場所だった。
 座って、それを再確認した。そのことを確認できただけで満足していた。


 朝食を食べた後、ガイドのギャツォに最後にもう一度寺院に行きたいと言った。ギャツォは少し困惑し、帰りの時間を頭の中で計算しているようだった。出発時間を遅らせるのは大丈夫か、と問うと、彼は笑顔で大丈夫だと言った。
 
 3度目の寺院訪問。坂道を登るのも少し慣れた。寺院の階段を登り始めると、鍵番のT僧侶が待っている。初日から声をかけてくれて、気さくな僧侶だった。プクタルゴンパの高僧の一人。
 ギャツォが彼と何か現地の言葉で話をしている。後で二人になった時に、ギャツォが教えてくれた。「君は運がいい。今日は月に一度あるチャンティングの日で、これから長時間のチャンティングが始まる。」


 寺院のキッチンに招かれる。厨房係なのか赤い衣を着ていない男性が一人、かまどの前に立っている。ギャツォがお坊さんと窓際に座り何かを話している。





 上の写真の彼は一人キッチンにいて、後でタイミングを待っていたのだとわかった。彼が立ち上がり、ギャツォに彼についていくように言われて、彼の後を追うと、階段を登り、皆が集まる広間を見渡せる高い場所から、法螺貝を吹いた。昼食の合図らしい。



 もう一人、先の彼よりも年下のお坊さんがやってきて、彼も合図係なのか、僕も吹けるよと一生懸命法螺貝を吹こうとしていた。微かに音が出て、笑顔を向けてくれる。





 一段降りると、先ほどの彼が、厨房からアルミのポットを持って出てきた。今度は食事を配るらしい。下の広間を見ると、子供のお坊さんたちがチャンティングを唱えながら絨毯に座り始めた。自分達の前にはお椀が出されている。下へ降りていった先ほどの彼が、お坊さんたちに、食事を注ぎ始める。






 彼らが飲んでいるものを私も頂いた。グルグル茶という飲み物。ギーとヤギのミルクで作られる。塩気がある、バター茶。飲みやすいものではない。予備知識はあったので、いつ飲めるのだろうかと思っていたが、プクタル最終日のこの時がそれだった。
 彼らの食事はそのほかに、小麦粉を手で練って食べるものがある。ギャツォが彼らと同じように練って食べていた。



 この後、予期しなかったことが起きた。
 この朝の行事には私たちの他にインド人の女性が数名来ていて、彼らの食事とチャンティングを見学していた。そこに、ドローンを持ったパキスタン人が現れて、彼ら座る広間の中に入り、中央にドローンを置き、彼らの頭の上にドローンを飛ばした。私はギャツォに彼は何をしているのかと尋ねた。慌てていて、うまく英語が出てこない。ギャツォは私の質問に対して、彼はツーリストで、ドローンを飛ばしている、と答えた。私は、そうではなくて、なぜ、大事な彼らの修行生活に、あのようにドローンを飛ばしたりということができるのか、と言いたかった。その場にいたインド人女性たちも、何かを言いたげだったが、誰も何も言わなかった。私はドローンが彼らに怪我をさせないかが不安だった。私はパキスタン人のしていることを今すぐやめさせるように誰か言ってほしいと思っていた。
 パキスタン人はまたづかづかと広間の真ん中を歩き、高僧の座る場所にどかっと腰を降ろした。その瞬間、場に緊張が走った。すると、ギャツォが声を張り上げて、パキスタン人に何かを言った。とても鋭い声だった。するとパキスタン人は立ち上がり、ドローンを持って広間からいなくなった。
 ギャツォが笑顔で私を見た。ギャツォは優しい人で、あんなに声を張り上げるようなことは滅多にしないのだと思った。勇気のいることだと思った。現地の言葉なのか、イスラム語なのか、私には何を言ったのかはわからなかったけれど、彼の行動に感謝したし、その後にことが収まってよかったと思った。日本語でもいいから、そこを退きなさいと言えばよかったのかもしれない。でも、ギャツォの勇敢さを見れて嬉しい気持ちになった。



 頂いたバター茶のカップを厨房に返しにいくと、最高僧が窓辺に腰掛けて食事をしている。手を合わせて挨拶をすると、まあ座りなさい、お茶を飲みなさいと、隣に座って二杯目のバター茶。そこへやってきた鍵番の僧侶が私を見て、なんで隣に座ってお茶飲んでるの?というような顔をする。や、私もよくわからない状況です、と彼を見つめ返す。
 最高僧が立ち上がり、他の二人の僧侶も立ち上がる。最高僧に来なさいと言われる。え?と思っていると、ギャツォがついて行きなさいと、教えてくれる。高僧二人は階段を登り、前の日に見せてもらった祈祷部屋に入っていく。古い太鼓が二つ中央にあり、壁には古い壁画が描かれている。僧侶に入りなさい、と手招きされ、靴を脱いで入る。二人の層は入って左側の壁側に座り、私は反対側の右側の通路に正座した。僧侶が一段上がるように手で促す。絨毯のところに座っていいのか、とわかり、一段上がり、彼らを真似てあぐらをかいた。そこに3番目の僧侶が部屋に入ってきて、私を見る。3人揃い、座り、チャンティングが始まる。
 ものすごい音。太鼓の音だ。鈴の音もする。3人の声が合わさって倍音を作る。頭が石のように重くなる感覚。痺れに似ているけれど、動けないわけではない、感覚ははっきりしている。妙に明るい印象を受けるのに、視界は太陽が入らない部屋なので暗い。皮膚感覚のひんやりとした感覚と、呼吸をする度に感じる内部の温かさと冷たさ。チャンティングの音が変化すると、その振動で心が動くのを感じる。驚きに似ている。全ての楽器の音と3人の声が、そのテンポを変える度に、体が驚いている。静かに座っていたいと思っていたけれど、不覚にも泣いてしまう。

 部屋を出たのは1時間後だった。チャンティングはまだ続いている。3番目の僧侶は部屋の外に出てその前に座り、中から響く音に合わせてチャンティングを唱えている。部屋の中にいる高僧方に手を合わせて挨拶をし、部屋を出る。外でギャツォが待っていてくれた。部屋の前の僧侶にも挨拶をする。目で伝え合う。


 ゲストハウスに戻り、荷物をまとめていると、部屋の外の食堂で言い争う声が聞こえる。
バックパックを持って部屋を出ると、先ほどのパキスタン人とゲストハウスを管理している大人の僧侶が言い争いをしている。言い争いだろうか、と様子を伺う。ああ、これはパキスタン人が僧侶から注意を受けているのだ、と思った。もちろん、彼が寺院で行ったことについてだろう。ものすごく怒られている。そうだろう、と思う。
 もうすぐ出発なので、初日に知り合った日本人男性二人に挨拶をしに部屋をノックする。高山病で具合が悪かった男性は、いくらか顔色が良くなって起き上がれるようになっている。帰りも歩かなければならないから、なるべく荷物は持ってもらって、気をつけて帰国してくださいと伝える。もう一人の男性からは連絡先を教えてもらったけれど、特に何も伝えたいことはないなと思う。会社の先輩と後輩の二人旅。後輩は初めてのインドで高山病。いい思い出になってくれるといいなと思う。
 なんの因果で人はこんな奥地まで旅するのだろう、と改めて思う。自分のことを見ていて思うのは、旅をする理由も、目的も、歩み始めると移り変わっていく。固い殻が割れて中から芽が出るような、あるいは、花が散って葉も茎も枯れ、種子を膨らませるような。
 私以外の人を旅先で見つめて、彼らにはどんな理由があるのだろうと思う。本人もわかっていない理由があるのかもしれないとも思う。旅だけではなく全ての行いについて、私たちはほとんど、その奥にある理由を知らないのではないかと思えてくる。知らないからこそ、試されるのだろうか。人間の中にある、何を試されているのだろうか。誰が私たちの思考を、感情を、行動を判断し評価するのだろうか。一つは自分であるけれど、その自分という存在の裏に繋がっている広い視野を意識できたらいいなと思う。誰かや何かに感謝できることは幸せだと思う。

 今日行うことが、新しい因果を作ることもあるわけで、その因果を刈り取るのは数分後になるか、何十年後になるかわからない。理由がわからずとも、起こることは全て、自分と繋がっている。関係ないだろ、とは、決して言えない。

コメント

人気の投稿