ラダック・ザンスカール 旅の記録 05


子どもは何かの拍子に突然泣き出して、自分でも泣いている理由がわからない、ということがある。はたして、子どもだけだろうか。今日はそういうことを書いてみようと思う。

2019年8月5日、レーを出発してカルギルを目指す。
早朝出発。チェックアウトを済ませ、運転手付きのレンタカーに荷物を詰め込む。運転手はザンスカール出身の50代男性。黒縁メガネ、仏教徒。車は山道を難なく行ける四駆の大きな車。助手席に乗り込み、出発。




レーの街を出ると砂の大地が見える。遠くに山。しばらくすると軍事用の敷地があり、鉄格子が道路に沿って続く。インドとパキスタンが国境を巡って色々ややこしくなっていることをこのときは知らない。出発の前にインド側が国境や領土についてある宣言をしてしまったことで、パキスタンとややこしくなっていたということを、私は帰国してから知る。レーに着いた翌日にはWifiが繋がらなくなった。暴動が起こらないように政府がWifiをカットしていたとか。ルーターは持っていったけれど、街を離れるとほとんど機能しない。カルギルの街に着けはホテルのWifiが使えるだろうと思っていた。

大きな道をひたすら車はゆく。砂地の風景はアリゾナと少し似ている。
しばらくすると、白い祠が見えてくる。3つ並んでいる映像をどこかで見た。沖縄のお墓もとても大きいのだということを思い出す。




川が見えてくる。
空が近い。雲の影が山に映る。



カルギルまで2、3時間ほどの地点。
その途中にあるラマユルを目指す。
最初の検問を通過する。パスポートを運転手に渡し、警官の許可をもらう。




面白い地層の山が続く。小さく見えるけれど、とても大きいのだと細部を見てわかる。溶岩のような形成に見えるけれど、流れ込んで固まったその先の砂利道は川だったのだろうかと思う。降りて土を触ってみたいと思うけれど、先へ進む。





ラマユル・ゴンパ。昔、湖がありそこにルーという生物がいた。
ナーローパが瞑想したとされる洞窟が寺院本堂の向かって右側にある。
本堂のことを思い浮かべると、匂いを思い出す。なんの匂いと言っていいのだろう。お香の香りと動物っぽい匂い。少し甘くて、少し酸味のある匂い。
堂内は光を入れないようにとても暗い。壁には壁画、ガラス張りの中に古い仏像が並ぶ。仏像の前にはお札が置かれていて、もしくは何かと何かの間に挟まるように置かれていて、ここにはたくさんの人が訪れているのだとわかる。
腐敗も発酵も同じ力の流れ。物質だったものが地面に戻ろうとする流れ。下へゆく。物質は元は生物だったのかもしれないと言っていたお医者さんがいて、生物がこの現実を経験できるように物質となって提供しているとその人の本で書かれていた。仏像は物質だ。あの場所にあったものは全て物質だった。でも、何かをそこから感じとる。「何か」でいい。具体的にしなくていい。経験したことは、脳味噌に保管されるのではない。私たち生物が経験したものは全て別の場所に保管される。その保管場所の門を開いた時、そうだったと思い出す。それまでは知らないままでいい。
そんなようなことを思った。









今度は勘定は忘れない。ランチにラマユル・ゴンパの入り口付近にある食堂に寄る。
ここでもウェイターの男の子と仲良くなる。ネパール出身の男の子、ここでバイトをしているらしい。いくつか質問をされる。この質問はこの後、いろんなところで度々聞かれる質問となった。一つ目に、どこからきたのか。二つ目に結婚しているのか。(なんで二つ目にこれなのかよくわからない)三つ目に子どもはいるのか。そして最後にどうしてここに来たのか。最後の質問がうまく説明ができない。ずっと前に写真で北インドを見て、ずっと来たいと思っていた、と言うのが一番シンプルなのだと思うけれど、リアクションは薄い。ふーん、という感じ。簡略化すると説明にはなるけれど実につまらない。余計な話が混ざるから、その人の色のようなものが見えてくるのだと思う。
年齢を聞かれ、あなたより上だと思うと言っても逃れられなかった。彼が19歳だと聞いて、驚いた。本当に自分の方がずっと上だった。男の子は実年齢より10歳は上に見える。運転手の年齢も聞いていなかったけれど、40代くらいに見えて実は結構年上なのかもしれないと思った。(この後運転手に尋ね、50代だということを知った。)
男性ばかり。女性と話せないものかと思ったけれど、この旅では女性と会話をすることはほとんどなかった。




しばらくは山が続く。運転手が「Photo」と言って車を停める。写真を撮るのにいいスポットらしい。何枚か撮るが、撮りたいのはこの景色ではないとわかる。


カルギルの手前、ムルベクという村に立ち寄る。
前の車に合わせて車を停めると、前の車からラマが降りてきて、運転手と挨拶を交わす。ラマは運転手のいとこらしい。ラマはヨーロッパ出身の女性を乗せていて、これからカルギルで一泊してザンスカールに向かうらしい。またどこかで一緒になると思うのでよろしく、と挨拶される。

ムルベクの磨崖仏を見るために立ち寄ったが、途中で村の人に会う。子どもたちを撮っていいかと尋ねると「ルピー」と言われる。ああ、撮影をさせてもらったらいくらか払わないといけないのだったとガイドブックに書かれていたことを思い出す。なんだか体温が下がる感じがする。そうして撮った写真もあまり感情がわかない。もやっとするのはなぜだろう。彼らを何も知らない。貧しいのか、ルールなのか、常識なのか。撮られることをどう思っているのか、ツーリストをどう思っているのか、何もわからないからなのかもしれない。


道路のすぐ脇に、磨崖仏のお堂はあった。岩に彫られているのは阿弥陀仏。高さ15メートルあるらしい。女性のように見えた。どこかイスラムの要素も感じるのは、カシミールの影響を受けている古い仏像だからなのだそう。7、8世紀のものだと言われている。



運転手が案内をしてくれて、仏像の前に立って見上げていると、隣で彼がマントラを唱え始めた。おそらくそれはいつも訪れる度にやっていることで、彼にとっては当たり前のことだったのだと思うのだけれど、私はその音を聞いて泣き出してしまった。なぜ泣いているのかわからなかった。運転手は私に気付いて、でも唱え始めたマントラはやめなかった。

泣きっ面のまま靴を脱いでお堂に入り、ラマに運転手が挨拶をするのを眺め、簡単に紹介される。運転手とラマは顔見知りなのか深い縁なのかはわからないけれど、彼が熱心な仏教徒であることはよくわかる。
運転手に礼拝の仕方を教えて欲しいと頼む。ヨガを始める前に行う礼拝ととてもよく似ている。合掌し立った状態から膝をつけ額をつける。立ちあがる時に足が震える。立ちくらみがして体がよろめく。

ラマにお茶をいただく。ここでもチャイだったと記憶している。どうして泣いたのだろうと考えるよりも、泣いたという経験を思い返していた。泣いたな。泣いたな。と。

運転手もなぜ泣いたのかと野暮なことは聞いてこない。長旅、帰りまでずっとこの人と一緒にドライブする。少しお互いのことを信頼できたような気がした。

あの時のことはいまだによくわからない。彼のマントラの音がどんなものだったのかももう思い出せない。先日娘が驚いて急に泣き出したことがあった。後日娘になぜ泣いたのかと聞くと、やはりよくわからないという。驚きのようなものに近かったと言った。私のもそのようなものだったのかもしれない。

音は耳が聴くのではない。脳が聞くのではない。
その音をとらえるのは、やはり心なのだと思いたい。







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