ラダック・ザンスカール 旅の記録 04
2019年8月4日
ラダック、レーに着いて2日目。
朝食は上の写真ではない。これにありつけるまでを今日は書くつもりでいる。
ガイドブックがあまり好きでない私は、ラダックの本を1冊だけ買ってもってきたけれど、詳しくは読まない。どこのレストランがおいしいとか、ランチがおいしいとか、あまり興味がない。観光で有名なところも、やっぱり興味がない。ただ、商店街が並んでいるとなるとうろうろしてみたい気持ちが騒ぐ。でも、これから長旅、お土産を買うのは早すぎる。仕入れができたりするだろうかとまた頭をめぐるけれど、ときは今ではないと言い聞かす。
初めてのところではよく眠れないのはいつものこと。5時に目が覚めて、6時にもう一度目が覚めて、7時を待ってレストランをノックする。昨日の男が目を擦りながら顔を出す。朝食を食べたいと告げると慌てて席に案内する。客は誰もいない。7時は早すぎるのか、よくわからない。
席についてから、寝起きの男を見るのは久しぶりだと思う。
朝食はオムレツ、パン、飲み物。いるか、いらないかで決まる。メニューがあるわけではない。
オムレツの味も聞かれる。甘いのは嫌だと言う。カレースパイスを使おうかと聞かれる。お願いする。コーヒーはあるかと聞くがインスタントだと言われる。まあいいかと思って頼むと、本当に粉のインスタントコーヒーが瓶ごと出される。カップとお湯とスプーンも。コーヒーを頼んだ私がいけない。確か、ガイドブックに、コーヒーの飲めるカフェがラダックにもある、と書いてあったのを見た。言葉のニュアンスから、そういうことだったのかと、そのときわかる。よく読まないから、こういうことになるのだけど、そういう失敗がやっぱり旅じゃないかと思う。日本でチャイっぽいのがあるのと一緒だ。
オムレツはとてもおいしい。パンは多かった。あまり記憶に残っていない。オムレツだけでよかったと思ったこと、野菜が食べたいと思ったこと、レストランの男がデザートの名前をスペルまで書いてくれたけれど、それがどんなものなのか分からなかったこと。忙しい朝食だと思ったこと。それくらいだろうか。
途中で小道があって、曲がってみたくなる。また下る。下っていけばダウンタウンのメイン広場に出るだろうと踏んで、結局ちょっと坂を登ったりしてたどり着く。
朝はおいしいパン屋がパンを売っていると友人から聞いたけれど、匂いはするがどこか分からない。ガイドブックはホテルの部屋。まあいいか、匂いをたどるかとクンクンしながら路地を進む。と、面白そうな小道を見つける。マンダラがたくさん売っている店の店員につかまる。なんとか会話を終わらせて、路地を行くとまた面白そうな坂道を見つける。
坂を登っていくと、民家の通用路に繋がっていて、住民が用水路の工事をしている。申し訳ないと思いながら通り抜け、この坂はどこまで続いているのだろうと登っていく。視界が開けたところで鳥が一羽飛んでくる。黒い。カラスだろうかと思う。でも羽の先が白い。
山の向こう。その先にザンスカールがある。明日からは車での移動。レーに戻るのは少し先になるのだと考える。今日の歩きは快調で、これは体慣らしにはちょうど良かったと思う。
登っていけば、どこかにたどり着くことはわかる。ただ、そこから見える景色やそこで感じること、思うことまでは分からない。パン屋を探していたことを思い出し、まあいいか、お腹いっぱいだったし、朝パン食べたし、と思う。絶対と決めていたら、路地も、民家の通路も、黒い鳥も、レーの王宮も、面白いとは思えずに、通り過ぎていたかもしれない。
ようやくメイン通りを歩く。パン屋はもうないけれど、野菜を路上で売っている人がいる。
やっぱり大きな通りよりも、路地が好きだなと思う。
無事にラダックに着いたことを喜んでいただき、話が弾んだ。ザンスカールへの道を案内するガイドのことを少し教えてもらった。彼はかつてこちらのお店で働いていたことがあるらしく、少し日本語が話せるらしい。とてもいい人間なので、困ったらなんでも頼んで大丈夫だと言ってくれた。トレッキングで荷物も辛かったらもって貰えばいいと言った。そうはならないと、気を張る自分を発見する。どうやら自分で自分のものは持って、歩きたいらしい。
おすすめのランチを教えてもらい、たどり着く。ラダック料理の店。
テラス席につくと店主が現れ、日本人の友達がいると話が弾み、やっぱり会話に忙しい食事。モモという、日本でいう餃子と、焼きそばのようなもの、二品頼んだけれど、これも朝食同様にやっぱり頼みすぎだったようで、食べきれない。持ち帰れるようにパックしてもらう。最後にまた店主から日本人の友達の話を聞く。ひとしきり聞いて、すごく美味しかったと言うと、店主は上機嫌で店の中に戻っていく。私はパックされた料理を持ち店を後にするが、しばらくすると若い店員がかけてくる。なんだろうと思っていると、勘定を忘れていると言われる。
コメント
コメントを投稿