ラダック・ザンスカール 旅の記録 02

 
2019年8月2日

 山梨から高速バスで新宿、そこから乗り換えて成田へ。スーツケースは水色の大きいもの。空港に送ってある。カメラは登山用のバックパックの中。買ったばかりなので説明書も一緒に。
 高山病の薬を飲んだ。デリーに着いたらもう一度忘れずに飲まないといけない。利尿作用があると言われたけれど、対して変わりない気がする。

 海外に出るのは1年ぶりだった。娘と母を連れてツーソンへ仕入れに行った。離婚した翌年だ。仕入れよりも女子二人の世話が大変だった。執事になった気分だった。母はあれ以来英語を勉強している。また一緒に行きたいと思っているらしい。70を過ぎた父と母にはこの旅のことは知らせなかった。子どもがいい歳になっていても親は安全を気にするものだ。心配されそうなことはいつも事後報告。根掘り葉掘り聞いてこない兄にだけ一言連絡を入れた。

 成田についてからの段取りはいつもと同じ。予約してあるWifiルーターを受け取り、送ってあるスーツケースを受け取り、チェックインをして、本屋を物色して、腹ごしらえをする。
 初めてのインドだけれど、ラダックはインドではない。ザンスカールもおそらく違う。旅の予定を決めたのは1ヶ月前。ラダックの街にある観光案内の店にメールをした。オーナーが日本人だったことと、ザンスカールに詳しいということが決め手だった。インド映画「きっとうまくいく」の舞台となったラダック北部の湖も興味があったけれど、映画は見ていないし、高山病を考慮してザンスカールへの道を無理なく進められる日程に組んでもらった。
 ザンスカールに行くにはラダックから車で2日かかる。ラダックから南西に位置するけれど、そこへ行くための道は西に進んで南下し、東に戻らなければならない。山が聳え、ぐるっと回らなければならないのだ。冬は川が凍るため、現地の人は山道を行くらしい。彼らは信じられないくらい標高の高い場所を、雪と氷の中、進む。胸が熱くなる。
 強く行きたいと衝動が起こったのは、プクタル・ゴンパという寺院だった。ザンスカールからさらに歩いて5時間かかる。車ではいけない場所。標高3500。絶壁に建つ寺院。
 車と現地に詳しい運転手を頼んだ。プクタル・ゴンパへのトレッキングを案内してくれるガイドも。プクタルに着いてからは、2泊滞在し、寺院と近くの村を案内してもらうプランだ。もちろん帰りも歩いて帰る。通常の5時間のトレッキングは大したことはない。ただ標高が違うとなると話は大きく変わる。

 出発から数週間前に、高山病の薬を処方してもらいに東京に出た。登山家がよく行くという病院を検索した。そこは小さな診療所で、40代くらいの医師が相談に応じてくれた。ヒマラヤだと、北インドだと、標高3500から4500だと話すと、登山経験は、と聞かれた。ほとんどないに等しい。富士山には登ったことがあるかと聞かれて、ないと答える。山頂と同じくらいだと言われる。知っている。知っているねという顔をされる。気休めだけれど、標高900のところに住んでいると話す。無言。毎日1200近くまで歩いていると告げる。医師は、要はどれだけ酸素を体に取り入れられるのかなのだと言う。心臓に疾患はないかと尋ねられる。心臓に影があると言われたことはあると言う。詳しく調べたけれど今のところは問題がないと言われたとも。2年前にあった大きさ10センチの子宮筋腫は完全に消えてしまった。鉄が足りなくてふらつくことも、小さな傷で出血が止まらなくなる危険も、輸血の準備ももう必要ない。血液を作るのは心臓、血液を全身に送るのも心臓。酸素を全身に運ぶのは血液。酸素を取り入れるのは肺。医師は胸に聴診器をつけて音を聴き、呼吸が深くてとてもいいと言った。
 高山病は水分の排出ができなくなって脳が圧迫されることで起こる。水分、要は血液だ。高山病の薬は水分の排出を助けるようなものだと考えて貰えばいいと言われた。おしっこがたくさん出るらしい。
 飲んでも効かない場合はある。大丈夫かもと思っても飲むのをやめないこと。ヒマラヤに行く登山家は飲み続けて進むのだと、医師は話した。もし高山病で救急搬送しなければならなくなった時はヘリを呼ばなくてはならない。標高の低いところに移動することが優先される。ヘリを呼んだ場合、費用はすごい額になる。
 恐怖に繋がるようなことばかり教わったようで、そうでもないなと思った。苦しくなったら人に頼み、ヘリに乗ればいい。誰もいないザンスカールの荒地で意識を失っても助かった方がいる。運ではない。自分で決めてその体験をする。その体験から知識を引き出すのは自分のそのあとの行為による。体験を運でくくるのは簡単だ。状況や環境や他人のせいにするのも同じくらい簡単。どう活かすかは人間の能力次第だ。
 楽々引っ越しパック。越えられることしかやってこない、とインプットした。

 離陸。眠る。デリー。
 トランジットだけれど、荷物を受け取って空港から出る。日は落ちているのに気温も湿度も高く歩いて数分で体から汗が出る。LAからツーソンへの乗り継ぎよりは簡単。もう一度空港内へ。入り口で警官にパスポートを見せる。セキュリティゲートはいつも慌てる。日本みたいに綺麗ではない。小さな黒いポーチの中身を見せろと言われる。生理用品ですという英語が出てこず、出たとしても見せなきゃなのかと渋々空ける。ボージャイストーンが入っていたポーチは何も突っ込まれない。ほぼ鉄の塊と紙だったら、鉄の塊の方をチェックしないものだろうかと思う。



 搭乗ゲートまではギラギラしたお店が並ぶ。香水の匂いが強烈。長い搭乗ゲートまでの道を歩いていたら美味しそうな匂いがして、サンドイッチのお店に並ぶ。コーヒーも頼む。おじさんが優しい。サンドイッチもなかなか美味い。買ってあった水で高山病の薬を飲む。デリーは夕暮れ。日本時間では深夜。空港近くのホテルをとっておいたが、直前でキャンセルした。スーツケースを持って移動するのが面倒だと思ってしまった。空港で寝るのもなんだかインドっぽくていい。インドっぽいってなんだろうと思う。バックパッカーがたくさんいて、すごくきたなくて、と思っていたけれど、空港内は実に綺麗で少し残念だった。誰もいないソファーで少し眠った。 





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