ブログの引っ越し、雨の日の散歩。
こんにちは、円です。
5月頭から急展開で新しいことが舞い込んできていたのですが、今週ようやくまとまってスタートを切ろうとしています。毎週水曜日は、オンラインストアを手伝ってくれているえり氏が来てくれる日なのですが、今月はそれぞれ予定が合わず、今週が初の作業日となりました。もう一方、月一でお世話になっているリエ氏も来てくれて、わいわいお仕事をしました。(えりリエDay。)この日はとてもぎゅっと詰まった日で、商談の予定を相談したり、アクセサリー制作の打ち合わせが入ったり、別で予定を決める連絡が入ったり。こういうことって滅多にないのですが、重なる日ってあるんですよね。
重なってはいたものの、快調に物事は進んでいたとその日は思っていたのですが、翌日はとても疲れていて、ミスも発覚、落ち込みました。午後は休息をとってじっくり考えました。
急に反省モードです。やれていないこと、先送りにしていること、色々出てきます。
心底落ち込んだところで、翌日友人が朝の散歩に連れていってくれて、森を歩きました。なかなか捕まらない友人なので、すごい雨でしたが予定通り決行。森の中では雨が弱まります。
半年弱で分かったこと、今ジャストで思っていることを話し、聞いてもらいました。森を散歩して、深呼吸。
ブログを引っ越ししました。
どうもワードプレスのエクスポート機能が作動しなくて、前のブログから記事を移動できません。ブログを書く時もなんだか使いづらかったワードプレス。以前に使っていたGoogleさんのブロガーというブログツールに戻すことにしました。
これまでのブログは残しておこうと思います。
https://lightnesstree.wordpress.com/
改めて自分の過去の記事を読み直したのですが、わーわーと痒くなりました。過去とはそういうものでしょうか。
森を抜けて友人が、「過去は存在しない」と話し出しました。出だしで、何を言おうとしているのかが分かりニヤニヤして聞いていると、彼も気づいたのか「知ってる?」と言う。はい、頭では分かっています。記憶というものはずっと維持しているものではなくて、過去の出来事はその瞬間の心が発生させるから存在する、ということ。その時発生した過去はずっと昔のことであっても、その時感じた感覚は常に新しい、ということ。何度思い出しても、いつも新しく出会っている。友人とは皆までは話さなかったけれど、あ、知ってるねという笑いで確認。
最近の私は自制心が足りないと、ぼやく。すぐ人に頼ろうとしてしまう。一昨年まではずっと一人でやってきて、何か危ないことがあると自然とそれを回避するような、一般的に言えば運の良さのようなものを感じていました。けれど最近の流れは前とは少し違うような気がしていて、一つの選択、それもほんの些細なことだとしても、自分の予想とは全く違う方向に進んでしまうということが起こりうるのだと実感しました。そして一度過ぎ去っていったタイミングは、それ一度きりで、流れは全く変わってしまう。その選択を後悔しても、どうにもならない。後悔するような流れになってしまうのは、大体全体や外側を見れていない時の選択。甘えが会ったときの選択。友人は私のその話を聞いて、自分一人でやるって100%決めると、その分、全方位から助けが来るものだよ、と言う。極と極。
それから、直感としてうまくはまるはずだと思っていた設計が、なぜかうまくいかないということが起きた時は、手前まで戻るということをすればいい、と言われました。工程を巻き戻す。一度全部解体してしまうのも手だと。そうやって手前まで戻して繋ぎ直すと案外スムーズに到達点に行けるということが起こるのだそう。森でこんな話。笑
それからもう一つ。自分のことを好きだと思えることをした方がいい、と。こんな自分が好きだと常に思える行動をとった方がいい、と。なるほどと思う。
皆さんはどうでしょうか。自分、という定義が曖昧だと、傲慢さを優先するという捉え方をしてしまうかもしれませんが、自分を大事にすることは周りを大事にすることと等しいのではないかと思います。自分だけ、を優先してしまうと、不具合が生じます。それは切れない境界線を切る行為だからなのかな。私にもまだ分かりません。学んでいきたいと思います。
最近はシュタイナーの本を読んでいるので、その話も追々。
石屋の方もぜひご訪問ください。
https://lightnesstree.shop-pro.jp/
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