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ラダック・ザンスカール 旅の記録 11

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 2019年8月8日。  木を見る。  ここが一つの分岐点になった気がする。  この旅でこの木を見ることにこだわっていたけれど、特に昔から知っていて見てみたいという思いが募っていたのではない。偶然にも自分の店の名前が木にまつわる名前だということは、なんとなく惹かれていく理由になっていた気もする。店の名前や、ロゴが木だったりというのは、特に私がこだわりがあったというわけではなかった。瞑想でその音とイメージが湧いたというだけで、実際にモデルとなった木があったわけでもない。木を探していたわけでもない。ロゴも自分でパッと書いた。  それでも、行きたかった場所に、地元の人から守られている木があるというのは心が躍った。木があると知って、これを見ることがこの旅の目的を大きくしめているようにも感じていた。そして、実際に見て、ここに滞在している時間はわずかだったけれど、何度も思い出すシーンとなった気がしている。  その木は石を抱いていた。  日に焼かれて肌が白くなっていた。  根元は一つの幹だけれど、上にいくにつれて何股にも分かれていた。  ジュニパーベリーの木だった。  この木は洞窟の泉の力を使って、僧侶が種から木に変えたという伝説がある。  伝説の僧侶はこの寺院の創始者で、15世紀初頭にこの寺院を建てている。その時に伝説を作ったのだとしたら、樹齢600年くらい経つのか。伝説は伝説だ。確かめる方法はない。始まりがどうあれ、この時のこの木に触れることができてよかったと思った。ジュニパーベリーは薬となる。針葉樹のオイルは香りが様々だけれど、長くジュニパーの香りを使ってきた。そうか、ジュニパーか、こんな遠くまで来て、ジュニパーだったかと、少し笑えてきて、より身近に感じ、遠くにいるおばあちゃんに会いにきたような感覚で写真を撮った。  木を後にする。寺院に向かって左回りで登り、ゲストハウスの上の崖を降りて一周というルートだ。帰りもとても危ない。  下ばかり見て歩いて、足元は石だらけで、やっと石に意識が向く。あ、黒雲母かもしれないなと拾ってみたりする。柔らかい、ショールではなさそう。ギャツォが石のことがわかるのかと聞いてくる。一応、石屋のオーナーだと言ってみる。「多分、これはマイカ。こっちの石にはクォーツが混ざっているから、クォーツの単体も取れると思う」と話してみる。どれがマイカか尋ねてくる。...

ラダック・ザンスカール 旅の記録 10

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   2019年8月8日  早朝、ゲストハウスの外に出て、近くを散歩する。入り口にはヒマラヤンアイベックス(山羊)の頭が飾られている。立派な角。家の木彫りの装飾も素晴らしい。  朝食はスイス人の男性とたわいもない会話をしながら。前日の夕方に大きなバックパックを背負ってやって来られた方だ。ガイドはいない、一人旅だそうだ。朝食後にゲストハウスの世話役のラマに近くの村にホームステイをしたいと交渉していた。旅人の顔。スイスなまりなのか英語が聞き取りにくい。表情はあまり変わらず、ジョークも言わない。生まれてからアルプスは見てきたのだろうが、なぜヒマラヤに来たのか気になった。まだまだずっと歩く、と彼は言っていた。  朝食を食べ終わる頃に、ガイドのギャツォが今日の予定について話しにきてくれる。  寺院に行って、朝の様子を見て、その後洞窟の上にある木に案内する、と彼は言った。その後は川の向こう岸に渡って、村を見にいく。歩いて1時間もかからないと彼は言う。ショートトレックだと笑顔。日本語も少し話す。以前の上司が日本人だったとの、少し勉強したのだと言う。  プクタル寺院に向かう。子供たちが私たちを追い越して上へ上へと階段を登っていく。  子供たちの学校の教科書。ギャツォがパラパラとめくって興味深そうに読んでいる。  寺院の厨房。子供たちが中で何かをつまんで食べている。これから朝食らしい。  最上階付近の部屋。祭壇がある。最上位のラマと限られた人しか入れない特別な部屋。  祭りや寺院の祈祷の際には、ここでお経が唱えられる。 階段の壁に窪み。その中央にはアイベックスの頭。  お経を唱えながらの朝食。朝食係のラマが順番に食事を配っていく。  子供たちのスクールバッグ。プクタルスクールの校章がカバンに刺繍されている。  寺院をさらに上へ登り、洞窟の上に向かう。  作りかけの建物。寺院向かって右側の様子が見れる。  上へ向かう小道は砂利道で、人が一人通れる幅しかない。  ギャツォが私の歩調を見ながら案内してくれる。    崖の上。さらに奥に山が続く。川の向こう岸の村が一望できる。どうやら川があるようだ。水があるから田畑が作れるのだろう。  寺院の脇に流れる川の先。ここは冬になると凍り、歩いて渡れるのだとギャツォが話してくれた。  目的の木までもうすぐ。  道のりを写しておきたくて、足元を...

ラダック・ザンスカール 旅の記録 09

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 2019年8月7日、プクタルのゲストハウスに到着してすぐ、寺院を目指して歩く。  崖の上に蜂の巣のように作られた寺院。標高は3600。登っていくだけで息が切れる。  崖を滑るように子供たちが降りてくる。子供のラマだとガイドが言う。    崖を登り、建物の中に入る。石で積み上げられた建物。70人のラマがここで暮らしている。  プクタルゴンパの洞窟。  15世紀初頭、チベット仏教僧侶 Jangsem Sherap Zangpoがこのゴンパの創始者。 Jangsemはこ の洞窟で泉の力を使って種の成長の速度を早め、樹に変えたという伝説がある。その樹が洞窟の真上に今もある、という記述を、旅の前に知った。  プクタルの意味、プクは洞窟、タルは解放。解放の洞窟、と言う意味になるらしい。  洞窟の手前の部屋にはお堂があり。壁には古い壁画が描かれていた。撮影は禁じられている。  扉の前に座る少年の姿が綺麗で、写真を撮らせてもらった。恥ずかしそうにこちらを見ていたので、気にしないでいいと言う。緊張が見られる。私が声をかける前の彼は、写真よりも力が抜けていて、穏やかだった。何を思って眺めているのだろうと思った。  この寺院に学校が開かれたのは90年代。村の農家の子供たちで、無償で教育が受けられる。8年制。小さな子供も英語で話しかけてくる。「あなたはフランス人ですか?」「じゃあ、中国人?」日本人だと言うと、「あー」とうなづく。「日本人は、なに人?」と尋ねる子供もいた。一人一人の個性が、可愛らしかった。  ゲストハウスで、ガイドのギャツォが夕食を作ってくれた。  日本人男性のうち一人と一緒に食べる。もう一人の連れの男性はどうやら高山病にかかったらしく、部屋で休んでいると言う。高山病の薬を持って彼を訪ねると、自分でも持ってきているが副作用が怖くて飲んでいないと言う。今すぐ飲んだ方がいいとすすめる。顔が真っ青だった。酸素ボンベを町のゲストハウスに置いてきたのが悔やまれた。  元気な方の男性は、ゲストハウスの部屋の匂いについて話していた。以前は外にトイレがあったと聞いていたが、崖の近くに建てられているので夜が危なく、各部屋にトイレが作られたのではないかと私は話した。確かにすごい匂いだ。現地の家の構造では部屋にトイレは作られてはいない。管理すラマたちも大変だろうと思う。ガイドのギャツォは外でテン...